無核無兵をめざす宗教者のネットワーク
  Inter-faith Forum for Review of National Nuclear Policy
  原子力行政を問い直す宗教者の会

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結成までの経緯と集会の記録

「東海臨界事故」緊急集会(99,10,28)
 緊急集会へのよびかけ

 深刻で衝撃の事故に、ついに私たちは遭遇することになった。臨界事故という、基本中の基本をいとも簡単に事業者自らが破った今回の現場は、またもや東海村であった。東海村の村民憲章には「わたくしたちは ゆかしい歴史と原子の火に生きる東海の村民です」とある。ここに示される通り、村の主要な沿道には核施設が立ち並び、村民の暮らしと接している。97年の旧動燃の爆発被曝事故に続き、この度の核爆発というべき臨界事故は、原子の火に殺される村民のみならぬ周辺住民の姿を誰の目にも明らかにした。

 この国の原子力開発の歴史とその後の展開、そして今日の状況を見るにつけ、この度の事故は、あらゆる意味に於いて問題が凝縮し象徴的にも思える。国は最初の商業炉を東海村に稼働させるに当たり、60年に大事故の損害を試算させた。1000万キュリーの放出を想定し、気象条件にもよるが、最大で3兆7000億円(当時)の損害額、災害範囲は首都圏を完全に網羅する200キロ圏、という数字が出た。これにあわてた政府は、急遽マル秘扱いとした。この国の原子力開発は最初から秘密裡に進められた。そして、この原子力に初めて予算をつけたのが中曽根康弘氏(元首相)だが、事故当日の小渕改造内閣の組閣人事(これによって政府の対応が遅れた)で、奇しくも二世の弘文氏が新たに科技庁長官に就任した。40数年を経て、親の過ちをそそぐべき絶好のまた最後の機会とも思われるが、就任インタビューで彼は、「安全なものだともう一度理解してもらう努力が必要」と語っている。この期に及んで彼は罪の上塗りをし、私たちを破滅に導こうとしている。世論調査では原発推進「反対」が「賛成」を上回ったが。

 事実、私たちは崖っぷちに立たされている。95年「もんじゅ」火災事故、97年東海再処理工場爆発事故に続き今回と、着実に事故のレベルアップが進んでいる。政府発表ではレベル4だが、実際には所外へのリスクを伴うレベル5というべき事態であり、後はない。もはや原子力からの撤退の道しか残されていないはずだが、政府はこの事故でさえも利用するかのように次なる方策を既に目論んでいる。「原子力防災新法」制定の動きだ。すなわち国の一元的管理の下で、権限が国に集中するかたちで住民避難命令措置をも講じる、というものだ。先の国会での矢継ぎ早の悪法制定との関連の中で、私たちが事実を知らされないまま(知ることを許されないまま)みすみす原子の火に殺される状況が生み出されようとしている。黙っているわけにはいかない。

 この度の事故に即して言えば、ウラン再転換施設JCOの会社としてのズサンな管理態勢の問題に矮小化させるような「世論誘導」をも感じる。これらを放置しチェックできなかったことは国も同罪であることを示している。しかのみならず、対応の著しく遅れた政府は、事故の火消し=地元自治体が要請した避難及び退避措置(これ自体が重大な問題を含んでいるが)からの解除、「終息宣言」「安全宣言」だけは迅速に行うという政治対処をした。その間、住民には臨界による中性子線のみならず、放射性ヨウ素他の物質を垂れ流しにすることによって、さらなる被曝を強要した。一方、臨界終息のための水抜き作業では、緊急時の限度をも越える、最高120ミリシーベルトの被曝があったことも後日判明している。

 私たちは、9月に「被曝労働を問う」全国集会を行ったばかりである。この時問題にしたシュラウド交換作業の実に4〜5倍の被曝線量(福島T―3を基準に)をこの度の作業で強いることになったのである。私たちはこの今日の状況を前に、一般人であれ職業人であれ被曝を強要せずにはおかない原子力の本質と実態を、はっきりと訴え、またその撤退を強く要求していかなければならない。未来のいのちをも殺され続けることを座視するわけにはいかないではないか。天は、私たちにこの時代この国に居合わせることを通じて、宗教者の本来あるべき姿を自覚させ、祈りと行動を促しているのだろうか。

 私たちは、緊急に東京で集会を開き、この度の事故の状況を整理し、国への申し入れ行動に臨みたい。共々に今日の危機を共有しながらも、今まさに原子力行政が進退の岐路にあることも見定め、私たちそれぞれの歩みをも踏みしめていこう。
1999年10月28日
原子力行政を問い直す宗教者の会
集会代表 藤井学昭

 報告 「東海臨界事故」緊急集会

これは中性子爆弾を住民に浴びせた「無差別殺人」だ
梅森 寛誠(宮城県・日蓮宗)
 実は私たち「原子力行政を問い直す宗教者の会」では、去る9月8日〜9日、敦賀にて「被曝労働を問う」全国集会を催したばかりでした。シュラウド交換作業がたくさんの労働者に少なからぬ被曝を強い、漸減傾向にあった被曝線量を押し上げている事実(97年の福島T−3の同作業で年間20〜25ミリシーベルトを被曝した労働者が106人)等を問題にしました。

 ところが、それから3週間後に、これらの線量が吹っ飛んでしまうほどの被曝事故が起こるとは。東海臨界事故では、致死量被曝した現場作業員以外にも、「計画被曝」を含め社員の一部には、緊急作業時の職業人被曝線量値100ミリシーベルトを越える被曝を与え、至近住民にも(妊婦や乳幼児にも)原子炉並みの洗礼を強要しました。

 これらのとんでもない事態を前にして、私たちは急遽連絡を取り合い、お互い多忙な時期でしたが、11月15日〜16日、東京での緊急集会と国への申し入れ行動を行いました。実態がここまで進んだ以上、私たちが確認し訴えていく最後の機会になるのでは、との声もあがる緊迫感の中での集会となりました。

住民被曝の実態

 本稿タイトルに付した、「中性子爆弾」「無差別殺人」は、東海村に生まれ住む藤井学昭さんの口から飛び出しました。彼は「宗教者の会」の結成メンバーで現事務局だが、この度は被害住民として登壇してもらうことになりました。彼の言葉は決して誇張ではありません。この国の原子力開発の発祥の地にあって、建物は何ら傷つけないが生命は破壊する「中性子爆弾」を炸裂させたわけです。核施設至近住民を予め選別した上での「無差別殺人」というわけです。この事故は、反原発を言わない反核の無意味さ(東海村には「平和利用」と「核兵器廃絶」の二つの看板があるようですが)をも改めて明らかにもしました。

 当日は運動会日よりで、白昼幼児が戸外で遊ぶ中で起こった、といいます。住民への通報はこの見えない「直撃弾」から2時間後、村の避難勧告はさらにこの2時間半後だが、原子力産業に勤めることを誇りに思わせられている村民には実感を超える事態だったようです。「臨界」の報に肝をつぶした氏は、勧告区域外ながら家族共々自主避難したが、その後科技庁の「50ミリシーベルト以下では心配ない」の暴言に接することになりました。一般人の線量限度は年間1ミリシーベルトであり、年間5ミリシーベルト以上の被曝で白血病が労災認定される基準からしてもあまりに暴力的だが、翌日、科技庁役人にこのことを突いたら「確率的影響」なる語を持ちだし、「直ちに心配するような知見は得られていない」と言い放ちました。米国ではスリーマイル島事故で一般市民の1ミリシーベルト被曝の基準でたくさんの訴訟が起こっているが、この国では被曝の状況に合わせて、いくらでも基準をかえるという「政治判断」で「安全」と言い「棄民」するわけです。

 集会ではこの後、東大の小泉好延氏に独自の調査から見えてきた「事故の事実」をお話してもらいました。氏は道路発掘調査に関わる中で真鍮の存在にヒントを見出し、事故直後から東海村に入って住民から5円玉を借り受け、この中に含まれる放射性亜鉛65を測定し、中性子被曝線量を推計しました。事故直後の最もきつい段階では測定が不充分で、後でホールポディカウンターを受けて「異常なし」となっても、半減期の少し長い亜鉛は被曝の証拠を、データ公開に消極的で事故を終息させたい行政に対して突き付けることになりました。「屋内にいたから大丈夫だ」という線量の値切りには「5円玉も屋内にあった」と抗することができたわけです。これらの調査活動を通じ、氏は住民を一人一人訪ねて被曝状況を説明するという、行政が怠ってきた貴重な役割を担うことにもなったようです。

 慶大の藤田祐幸氏は「事故と被曝」と題して、「町の真ん中に突然、制御棒も格納容器もない裸の原子炉が出現した」と表現しました。それ故「人間が接近できない、離れて見ていくほかない」情況で、「深夜の突撃隊」の大量被曝を強いた原子力安全委の決定には大いに批判的な見解を示しました。また氏は、事故当日テレビ局の報道センターに身を置く中で、その日の晩に周辺10キロ内の屋内退避勧告が発せられ自衛隊が出動し、報道関係者の多くが現場から去り、政府発表の情報のみが伝えられる実態を、恐怖感を込めて「戒厳令の夜」と紹介しました。そして、その辺りから原子力防災に関して言及することになりました。

  原子力防災を国に任せては危ない

 これまで多くの自治体は原子力防災の責任を国に求めてきました。が、この度の事故ではどうでしょうか。村がJCOの要請を受けて避難決定をする15時に、政府はようやく科技庁長官を本部長とする事故対策本部を設置。県の対策本部設置はこの1時間後で、首相を本部長とする対策本部は21時になってからでした。その間政府は、組閣人事に熱中していたせいもあろうが、事態の深刻さの認識も遅れ(科技庁は臨界情報を握っていたようですが)全くなすすべがない状態でした。政府が唯一行ったのは「安全宣言」を出したこと、という声も聞かれます。

 東海村村長の一歩踏み込んだ決定は問題があったにしろ、至近住民の被曝を一定程度軽減させた役割を果たしました。もし政府が一元管理を指向するのであれば、それすらもなし得たかどうかはわかりません。
 これらの経緯を踏まえれば、本来打ち出せるものではないはずだが、今、国の一元的管理を強化させる原子力防災に関する新法の法制化が急ぎ進められています。
 住民の安全面からも防災の基本からも逸脱したものです。私たちは翌日の交渉でも「新法制定で、住民を汚染から脱出させるより閉じ込める方向、住民の避難行動を妨げる方向に作用されるのでは」と強い懸念を述べましたが、「まず法律で骨格を決めたい」と答えにならない返答しか返ってきませんでした。

  集会では、小泉氏は「科技庁には見直し手直しではなく、安全規制(権限)を止めていただく」べきと明言しました。藤田氏は「鉄道や道路を封鎖するのではなく、列車で逃がすべきだった、バスを何台も出して逃がす計画が必要だった、結局うまくいかず止めようとなるのだが」と語りました。国の一元的管理が強化されれば、何もなし得ないに止まらず、これまで以上に情報隠しが進み、不要な被曝も強要されることが確信できたことが、多大な犠牲を払ったこの度の事故での貴重な「教訓」かも知れません。

 以上の論点を中心に集会と、科技庁、通産省、労働省への申し入れ・話し合いがもたれました。そして、憂慮される「2000年問題」が間近に迫っている段階でもあり、この国の原発・核施設の深刻な事故が頻発しそのレベルアップも進んでいる現状を認識すれば、まずはこれらの施設の停止と総点検をし、さらには原子力・エネルギー政策の転換のための真剣な検討をすべきと訴えました。紙面が尽きたこともあり、また、申し入れ行動の詳細の再現は頭がキレそうにもなるので、省略します。なお、「宗教者の会」では両日の要旨を声明文としてまとめ、各方面に提出しました。


 集会後の声明

東海臨界事故にたいする声明文
原子力行政を問い直す宗教者の会
 私たちはこれまでそれぞれの宗教信条に照らし、自身を問い直しながらこの国の原子力行政を問い、そこに許し難い欺瞞と差別の構造を見出し、破滅に向かう行く末を憂慮し警鐘を鳴らしてきた。これらが今、恐怖感を伴いながら実感される事態になった。

 1999年9月30日発生した茨城県東海村の臨界被曝事故は、事故の実態及びそれの対処の状況に於いて、原子力行政が既に破綻しまた機能し得ない現実を思い知らせることになった。そればかりか、私たちが何も知らされないまま被曝を強要され、未来にわたって「原子の火」に殺されるシナリオさえもできつつある。私たちは、この深刻な現実に直面し、私たちが確認し訴えていく最後の機会になるのではないかとの危機感の中で、ここに緊急集会を東京で開催し、主に以下の点を押さえながらこの度の事故の状況を整理し、国との申し入れ・対話を行った。
(T)これは国が中性子爆弾を住民に浴びせた「無差別殺人」だ
 @事故に於ける住民被曝

 臨界という絶対起こしてはならない基本中の基本を踏み誤ったこの度の事故は、それが何ら防護のない所で発生することによって、必然的に大量の中性子線を周囲に撒き散らすことになった。かつ、強い放射線への緊急対処を講ずべき事故直後の4〜5時間を放置することによって住民に取り返しのつかない被曝を与え、その後の避難及び退避措置は、本来発生源からより遠くに離れるべき防災の基本を無視し、妊婦や乳幼児を含めた住民に、さらなる被曝を求めることになった。しかのみならず、放射性ヨウ素他の放射性物質も事業所から垂れ流しにされていた事実が、政府が「終息宣言」「安全宣言」を迅速に出した後に明らかになった。

 このようにこの度は、JCO事業所の臨界事故に、行政の人為的あるいは無策故の被曝が加わった事実がある。その責任は大いに問題にされなければならない。特に、国が事故後に地元住民に行った「がん、白血病などの晩発性の影響は実効線量で約200ミリシーベルト以上でわずかながら増加が認められるが、50ミリシーベルトより小さければ心配ない」との説明は、一般人の被曝線量限度を年間1ミリシーベルトに定めたICRPの勧告値をいきなり50倍許容させることを意味し、年間5ミリシーベルト以上の被曝で自血病が労災認定される基準に照らしても、あまりに暴力的と言わざるを得ない。
 A緊急作業による労働者被曝

 臨界を終息させるための水抜き作業等でJCO社員が大量の「計画被曝」を余儀なくされた。緊急作業時の職業人被曝線量の上限値100ミリシーベルトの根拠は問題であるが、今回はそれすらも越えて被曝する労働者が続出した。事故現場で大量被曝した3名の作業員以外にも多くの人がこのように職業的な被曝を強要される事態となったことについて、その責任を問うていかなければならない。
 Bデータの公開と正確で納得のいく説明を求める
 この度の事故に於ける避難・退避措置及びそれらの解除の根拠となったであろう住民の中性子線被曝線量データはしぱらく明らかにされなかった。中性子線の距離、放射性物質の核種やその拡散状況、被曝の実態の正確な把握は住民にとって自身の命を守る最低限の人権的次元のものだが、いまだ不透明のままだ。国はこれらの基本データを公開した上、正確で納得のいく説明を施す義務がある。
(U)原子力防災を国に任せては危ない
 @「原子力災害対策特別措置法」は

 原子力防災に関しての新法の法制化が急ぎ進められている。これは、国の一元的統制の下で権限を国に集中させて住民対策も講じられ、情報管理も一段と進むことが懸念される極めて危険な新法である。

 この度の事故に於いて、国は対策本部設置等の事故への対応が著しく遅れ、適切な情報提供も行っていない。国は何もなし得なかったばかりか、その後の措置では住民への不要な被曝を強いることになった。今回の事態を踏まえれば、初動できなかった国が地元自治体に替わって原子力防災の独占的一元的管理を強化することは、住民の安全面からも防災の基本からしても大いに問題であることがわかる。新法制定によって、住民を汚染から脱出させるよりむしろ閉じ込める方向、住民の避難行動を今まで以上に妨げる方向により作用されることに危惧感を禁じ得ない。住民の生命ではなく、国の原子力推進体制を守るために、住民が事実を知らされないまま行政によって殺される状況が生み出されることが予測される。同法案の廃案と抜本的な再検討を求めたい。
 A「2000年問題」との関連で

 原発の運転に関し、「2000年間題」が大いに憂慮されている。基幹部分の対策がなされようとも、人為ミスを含んだ些細な原因で複雑に事故を招き寄せる未知なる不安は解消されておらず、京都での大規模な停電等に見られるような前兆的なトラブル例も一部で起きている。

 臨界事故後の折りでもあり、当面、緊急で最良の防災対策として、電力需要の底をつく年末年始に原発や核施設の停止、総点検を実行すべきである。
(V)原子力・エネルギー政策の転換を
 この国の原発・核施設の事故はこのところ頻発し、しかも明らかにレベル・アップが進んでいる。この度の事故は、政府発表ではレベル4だが実際には所外へのリスクを伴っており、レベル5の事態といえる。ここで根本的な政策転換をせず、これらの事故を軽視し続けるならば、近い将来レベル6〜7クラスかそれ以上のカタストロフィは必定である。

 言葉を替えれば、政策転換のチャンスということだ。世界的な原発政策特に再処理路線からの撤退、再生可能なエネルギーの選択という潮流からしても、国のメンツを何ら損なうことなく大転換が可能なはずである。
私たちが97年10月にまとめた「『国策』=原子力政策の転換を求める提言」
 
 1.再処理・プルトニウム利用からの撤退
  2.原発不増設、アジアヘの原発輸出禁止
  3.既設原発とその核廃棄物の後始末
  4.被曝労働者の安全・救護対策
  5.省エネ対策・新エネ開発
 これらの真剣な検討が、この度の事故による世論の変化を踏まえ、民主的で公明正大な議論の上でなされることを要求する。
1999年11月16日





第5回 「敦賀」全国集会(99,9,8)
 「敦賀」全国集会へのよびかけ

第5回 原子力行政を問い直す宗教者の会
「敦賀」全国集会のよびかけ

テーマ 「宗教者として被曝労働を問う」
 ――「原発で人は死なない」と推進派は言います。ところが現実死んでいるのです。‥今、 原子力というものに関して、現実を直視していただきたい。そして、命がけでこの運動を 広げていって欲しいと思います。でなければ犠牲者がどんどん広がっていきます。‥私は 僧侶ですから、仏の意志を縦いではたらかなければいけないのです。こんな犠牲者を作っ たらいかんです。これが私の使命だと思っております。 ――
(故・立花正寛氏 『結成全国 集会報告集』より)
 93年7月、本会の結成集会で「犠牲者を作るな」と叫んだ地元・敦賀の立花さんは翌年春、ガン死した。まさに遺言となった彼の言葉を私たちはどう受け止め、歩んできただろうか。

 福島第一原発3号炉で97年に開始されたシュラウド交換作業が、当初の予定を越え1年近くかかって終了。年間20〜25ミリシーベルトを被曝した労働者(近年の各原発の被曝労働では、ほとんど年間20ミリシーベルト以下)がこの交換作業だけで106人にのぼった。この大規模な被曝作業は、同原発2号炉でも実施され、そして今、93年の結成集会において廃炉を要求した敦賀1号炉において、強行されようとしている。
 「シュラウド」とは原子炉の炉心を包む巨大な円筒形の構造体で、この付近は放射線が強く本来人間の入る場所ではない。また、シュラウド(shroud)の語は「経かたびら」つまり「死に装束」を意味する。設計時には想定されていなかったこれの交換作業によって、労働者の犠牲と引きかえに老朽原子炉の延命が図られている。

 そして、この危険な「屍衣」交換作業には、米国の黒人労働者や日雇いの寄せ場・野宿労働者が投じられ、補償もなく闇に捨てられている可能性が高い。寄せ場で、「原発の仕事に行くな!殺されるぞ!」とビラが配られても、この不況下で今、この時間にも、多くの労働者が集められ、被曝させられ、捨てられていく。一方、地元の原発労働者や関連会社の社員も定検などで日夜被曝している。――「こんな犠牲者を作ったらいかんです」
 現実には、そうした犠牲者の情報は限られ、闇の中に葬られ、顧みられることが極端に少ない。が、私たちがその中に甘んじていることはもはや許されない。

 今秋9月、私たちの会結成の地・敦賀市で、〈労働者被曝〉をメインテーマとして全国集会をもつ。それは、被曝に関する差し迫ったあまたの課題に加え、私たち宗教者の原点をも照らし出すものとなろう。6年前の結成集会では「原子力行政を問うことは、自身の宗教的信念を問い直すことでもある」と呼びかけた。今日、新たに犠牲者が作り出されようとしている被曝問題を通して、この会の存在理由と私たち自身が問い直されなければならない。
 原子力に依らないエネルギーと、誰をも犠牲にすることのない社会・文明を求めて、私たちは確かな歩みを進めたい。
   暗く深い闇から、光を見出して、共々に歩もう。
   もう一度、敦賀の地から。

1999年7月20日
原子力行政を問い直す宗教者の会
集会代表 西條由紀夫(バプテスト連盟)



 報告 「敦賀」全国集会

報告 「敦賀」全国集会 (99,9,8〜9,9)
市川 哲 (兵庫・日本キリスト教団)
 第5回全国集会は、敦賀市・北陸トンネル温泉「北国ホテル」というところで開かれた。宿泊団体名を書いた玄関の看板のなかには、多分原発新規立地予定地から”アゴ足付き”で招待された視察旅行かな、と思われる名前もあった。不況が続く中、もしかするとホテルとしても「問い直す宗教者の会」に会場を貸すというのは少しは勇気が要るのかもしれない。敬意を表する意味で飲んで大騒ぎするのだけは止めとこう、と宗教者らしい(?)思いを少し抱いて参加した。

 集会日程は『フォ−ラムNO2』に掲載してあるので、各問題提起のうちいくつかの感想を中心に書きたいと思う。今回は被ばく労働の実態を探ることをテ−マに設定したので、嶋橋美智子さん、高木和美さん、そして実際に被ばく労働に携われた方からの話はいずれも事実に基く重みがあった。

 とくに嶋橋さんについては、最初は息子さんの状態が分からず、むしろ良い企業に就職した位に思っておられたこと。亡くされてから後、初めてことの重大性に気づいたこと。弔慰金と引き換えの形で真相を公表しないよう圧力を受けたこと。企業に何回も申し入れて後やっと返却された放射線管理手帳が、明らかに改ざんされており、逆に原子力産業界が実態隠しのために業界ぐるみでやっている手口が図らずも露呈したこと。息子さんの尊い犠牲があって初めて白血病が被ばくと関連あることを認められ、労災認定の道が開かれたこと。これら体験に基く話のなかで嶋橋さんの苦闘してこられた過程が事実として語られただけでなく、”国策”のためかけがえのない肉親の命が虫ケラのごとく奪われた無念さが迫る内容であった。

 次いで保健婦として原発労働者と接した経験をもつ高木さんは、被ばく労働者が生み出され使い続けられるシステムを学問的に論じた。その内容も去ることながら、中でも資料として出された若狭地域を中心とした被ばく労働者からの聞き書きは、産業構造のなかで底辺付近に位置する労働者がいかに危険な状況に追い込まれているかを雄弁に物語っている。行政等の調査が一向になされない中、机上の議論だけでなくこのような地道な作業の積み重ねと好評の大切さを感じた。

 その意味で被ばく労働に携われた2人の方からの今集会での証言のように、被ばく体験を公表される用意のある方をもっと発掘し、事実の積み重ねで原子力行政に対し政策変更を迫っていく必要があるだろう。

 後のセッションでの藤田祐幸さんの問題提起は、事実上今回の中心の講演であり、多くのことを学ばせていただいた。福島第1原発でのシュラウド交換作業がいかに多量に被ばく労働者を使い捨てているかの事実を資料に基いて検証。野宿労働者のような立場の人々がどれだけ被ばく労働にかり出されているか、自分自身の調査に基く報告。「放射線管理手帳」制度が実は他の危険労働従事者に交付される「健康管理手帳」と異なり法的根拠がなく労働者保護にほとんど役立っていない事実の説明。どれをとっても大切な情報を与えていただいたことに感謝したい。

 特に私にとって、野宿労働者大量被ばくの問題は、阪神・淡路大震災被災地での救援活動にかかわる者として、震災後急増する野宿労働者の支援に苦慮する現状のなか、自らにも重い宿題を突き付けられたと感じている。「棄民政策」「土建行政」というキ−ワ−ドで震災と原発が見事につながっていることを改めて痛感した。

 今回の集会も2日目の協議も含め有意義な時間を共有でき、地元に戻って還元すべき多くを学んだ。兵庫の教会でも新たに但馬の牧師を中心に隣接の久美浜原発建設反対運動に関わりをもつ動きが始まっており、他人ごとでなく自らの問題として捕らえる宗教者がこれからも増えていくと思われる。連帯のなかで今回の情報をもまた、共有して行きたいと考えている。




第4回 「島根」全国集会(96,7,2)
 「島根」全国集会へのよびかけ

第4回「原子力行政を問い直す宗教者の会」
 『島根』全国集会
テーマ 「国策=核燃サイクル」を問う」 PARTU−「国策」の転換を求めて」
 1995年12月8日、動燃事業団は高速増殖炉「もんじゅ」においてナトリウム漏れ火災事故を起こした。年明けて1月、福井・福島・新潟の三県の知事によって、原子力 計画の見直しを含む異例の「提言」が国に対して行われた。同時期、大田沖縄県知事 の「代理署名」拒否をめぐり、基地問題が国と争われていた。いずれも背景に市民の 根強い運動と悲願があった。「国策」は揺らいでいる。

 この国の原子力政策は「国策」で推進されてきた。「国策」は政府と関連企業とのそのときの都合で強行されてきた。それらが今日露呈されてきているのではないだろ うか。では、その虚構ともいえる「国策」を支えてきたものは何か。それは、まさに強いものの側に立とうとする価値観ではないだろうか。宗教がそれを鼓舞扇動した事実はないか。それが宗教なのだろうか。私たちは自らの宗教を批判し問い返しなが ら、踏み付けられている人々の声を聞き連帯していく歩みをはじめたい。


 「沖縄の人々は基地がある故の弊害だけを問題にしているのではないのです。誰か に押し付けたいとも思っていません。だってそれでは悲劇を増すだけですから。」
(仲村清子さん県立普天間高校生ー当時ー県民総決起集会(95/10/21)で平和を訴えた)
六ヶ所村へ押し付ける核廃棄物問題そのものである。


 この度私たちは島根で集会をもつ。ここは古代大和政権(アマツカミ)に対する出雲クニツカミの地、日本海より東アジアを臨む地。昨年来の「国策」を問う場として は格好の地である。また、当会に先駆けて原発問題を訴える教派宗派を超えた「21 世紀宗教者の会」を結成し活動を続ける先進地でもあり、その点からも私たちが学ぶ ものは少なくない。

 ここで今厄介な問題が起きている。中海・宍道湖干拓淡水化とい う「国策」事業を一度は撤回させたものの、本年、県は時代に逆行する本事業の再開 を表明した。さらに中国電力島根原発の増設問題が急を告げている。決して島根だけ の問題ではない。

 私たちはこれらにつながりながら、自身の足元の「国策」問題をよ り深く掘り下げていきたい。私たちはそれぞれの思いを携えて出雲・島根に集結し、 祈りの中で今日の福井そして沖縄の提起した「ノー」の意味を問い直してみようでは ないか。

1996年5月20日
「原子力行政を問い直す宗教者の会」
集会代表 安本 和正(大本教)

日 時 1996年7月2日(火)14:00〜3日(水)15:00
会 場 (宿泊) 松江市「松江しんじ湖荘」(下記参照)
参加費 7、500円(1泊2食、交流会・事務費含む)
集会のみ(宿泊、食事なし)の方は1、000円
夕食付きの方は実費


第3回 「六ヶ所」全国集会(95,7,2)

第3回 「原子力行政を問い直す宗教者の会」
『六ヶ所』全国集会 よびかけ文
テーマ 「国策=核燃サイクル」を問う ―今、宗教者として―
 現在51基の原油タンクが鎮座する。いまは完全に姿を消した上弥栄部落は、多くの旧満州「弥栄村」出身者によって入植開村された。彼らは、かつて満州への武装移民として「匪賊」(現地住民)の抵抗を受けながら入植し、到着した翌朝、「東方に向かって天皇陛下の弥栄を三唱」し、一年後には皇室繁栄を願う「弥栄神社」を建立した。青森県の弥栄村は、解体されて石油の国家備蓄のタンク群の下敷きとされ、その源流の「満州」弥栄村は、天皇のための戦争の防波堤とされたのだった。       (鎌田 慧著「六ヶ所村の記録」<下>より)
 彼らは、時の国策によって振り回され押し潰されてきた。「満州は日本の生命線」の掛け声の中で侵略に加担させられ、戦後は増産策を担って入植した地を、今度は「開発」(むつ小川原開発)の名のもとに追いやられた。地域発展が謳われたが、やってきたのは原油タンク(石油備蓄基地)だけであり、膨大な借金返済に迫われた失政のツケとして、核燃サイクル施設が現れた。そして今この地域は、史上最悪の、世界に類例のない原子力センターに姿を変えつつある。

 その間、六ヶ所村住民は、心身共に荒廃に荒廃を重ねさせられてきた。国策の名のもとに核の押し付けが既成事実化されつつある。さる4月26日(チェルノブイリ事故と同じ日)には、フランスから高レベル放射性廃棄物が搬入された。昨年末の三陸はるか沖地震で敷地内に亀裂が入った状態に於いて、である。この国の国策たるや、だれ一人責任を担うことなく進められている。六ヶ所村の歴史と現実がそのことを雄弁に語る。

 私たちはこの国にあって、同時代及び未来への責任性と倫理感をもって、真に歴史の経験を教訓としえるのだろうか。宗教者の戦争責任、かつての国策に対して教団や宗教者がどう対応したか、戦後はどうだったか、歴史の検証と反省ぬきには語れない。また何故六ヶ所村なのか、都市と地方(現地)にある問題を、国策の過去・現在を見つめることを通じて未来のビジョンを展望したい。さらに現在の日本の国策が究極的に核武装に向かうことを各国から懸念され、事実その方向に進みつつあることを、充分におさえながら、その国策によって過去・現在にわたって被害を受けてきたアジアの人々の声を聞き思いを共有したい。

 美しく厳しい自然・大地に立ち、六ヶ所村の地で今日起こっていることを見て、苦悩する人々と交流し、祈り、論じ、模索し合いたい。私たちは、「今、宗教者として」現地住民の止むに止まれぬ訴えに呼応し、歴史に肉薄し、共々に重い課題を担っていくためのはじまりとしたい。
1995年6月5日
「原子力行政を問い直す宗教者の会」
集会代表 岩田 雅一(日本キリスト教団)
坂井 基哲(立正佼成会)
「六ヶ所」全国集会宣言文
原子力行政を問い直す宗教者の会
 1995年7月3日〜5日、私たちは全国から、また韓国とフィリピンの代表者の参加を得て集まり、六ケ所村の大地に立ち、祈り、また現地で苦悩する人々と交流し、宗教者として「国策=核燃サイクル」の意味を問うた。私たちは将来を憂慮し、以下宣言する。
 
 (1) 「核燃サイクル」は、責任を回避して、地元の人々を圧殺する、国家の犯罪行為である
 国は、六ケ所村住民から「開発」の名のもとに農地・漁場を奪った。その後にやってきた「開発」ならぬ「核燃サイクル」施設は、企業・行政の癒着体制の中で、住民の不安を逆撫でしながら強行して進められている。人々は傷つき分断され、心身共に荒廃に荒廃を重ねさせられてきた。
 (2)核廃棄物搬入は未来のいのちを奪う。
 国は、その処分方法が確立されていないにもかかわらず、「一時貯蔵」の名のもとに高レベル放射性廃棄物を六ケ所村に押し付けている。これは、将来世代に一方的に負担を強いることである。数万年単位での安全管理に誰が責任を取ることができよう。この国の原子力行政の無策・無責任ぶりが、この地に集約されている。いのちと共存できない廃棄物を生成・蓄積させる行為は、国家犯罪そのものである。
 (3)安全対策を無視して強行する「核燃サイクル」行政は、欺瞞であり傲慢な行為である。
 1994年末の三陸はるか沖地震で原燃敷地内に亀裂がはいった。早くから指摘されていたように、この地は活断層が通り、最も危険な地盤である。行政はこれを無視して強引に施設建設を進めている。阪神・淡路大震災を経験した今、このような態度がいかなる惨状を招来するかは明らかである。特に、東北・北海道では規模の大きい地震が連発しているにもかかわらず、大地震による事故を想定した対策はとられていない。
 (4)「戦後50年」「ヒバク50年」の今日、この国はなお、戦争責任を清算しないまま核武装化の脅威を近隣諸国に与えている。
 戦後「平和国家」として再生したはずのこの国は、今や有数の「軍事国家」となっている。最近の核をめぐるこの国の動き(再処理工場建設・「もんじゅ」の稼動・核の海上輸送・原発の輸出計画等)は、世界が注視しその展開を懸念している。このような核政策は近隣諸国を刺激し、東アジアは既に核の一大集中地域となってしまった。六ケ所村の状況は、まさにこれらの問題を集約している。
 (5)私たちは、教団や宗教者がかつての「国策」=侵略戦争に対して加担してきた事実を見つめ反省、懺悔すると共に、今日の「国策」=核燃サイクルに対しても同じ轍を踏むことのないよう、六ケ所村の地に於て誓いたい。
 私たち宗教者は戦争時の加害者としての責任を深く問うことをせず、戦後はむしろ被害者としての意識や行動に甘んじてこなかったか。これらを踏まえて今日を省みる時、私たちはまず何よりも加害者としての過ちを自覚して、アジア諸国に真摯に謝罪し、責任を取らなければならない。
 また、「核燃サイクル」が国策として進められている六ケ所村に対しては、都市部のみならず原発現地までが加害者となり、アジア諸国に対しては六ケ所村そのものも加害者になることを強いられようとしている。
 私たちは、今こそこの地で祈り懺悔する中で、切り捨てられ、踏みつけられ、分断されているすべての人々の痛みと願いを共有し、連帯していこう。
1995年7月5日
六ケ所村の大地にて

掲載新聞記事 抜粋

 東奥日報 1995,7,4

             核燃の問題点を提起
               六ヶ所・原子力行政を問う全国集会
            国内外から100 人が参加

 「原子力行政を問い直す宗教者の会」の全国集会が三日、三日間の日程で、六ヶ所村泊のやまいちホテルを会場に始まった。初日は、核燃料サイクル事業に関する問題提起などを行った。

 集会は今年で三回目。今回は八戸市の岩田雅一(日本キリスト教団)、六ヶ所村の坂井基哲(立正佼成会)両氏が集会代表となって同村で開いた。韓国人7人、フィリピン人一人を含む約100人が参加した。

 テーマは「国策=核燃サイクルを問う」。集会代表の岩田さん、石川県の長田浩昭さん、韓国から参加した朴在完さん、弘前市の千葉仁子さんの4人が問題提起や意見発表を行った。

 長田さんは満州開拓、高度経済成長、原子力政策などを例に挙げ「国策はだれを犠牲にするかを決めるところから始まる」などと述べた。千葉さんは、元六ヶ所村長の寺下力三郎さんが日本原燃などを相手取って起こした肖像権侵害訴訟を紹介し、「寺下さんの受けた侮辱は核燃反対者への攻撃」とした。さらに、「核のごみは発生者に返すべきだ」と訴えた。

 四日は核燃施設視察、弘前出身のルポライターで「六ヶ所村の記録」の著者・鎌田慧さんの講演、地元住民を交えての意見交換などを行い、集会宣言文をまとめる。宣言文は要望書として五日に村、日本原燃、科学技術庁青森原子力企画調整事務所、十日に県に対して提出する。


 仏教タイムス 1995,8,3

        原子力行政を問い直す宗教者の会
      六ヶ所村で集会
          韓国から反原発カトリック神父らも招き

 宗派を越えた宗教者で作る「原子力行政を問い直す宗教者の会」(集会代表=岩田雅一・板井基哲氏)の第三回全国集会が、七月三日から五日にかけ青森県六ヶ所村で開催、韓国から招いたカトリック神父らを含め九十五名が参加した。

 六ヶ所村は今、国の手で「核燃サイクル」事業が強力に推し進められている。四月には高レベル放射性廃棄物が搬入された。同会ではこの地に集約的に現れている問題を、「『国策=核燃サイクル』を問う―今、宗教者として」のテーマで捉え集会を企画した。

 集会は、四氏による発題、話し合い、「原燃」敷地内の視察、ルポライターの鎌田慧氏の講演、地元の運動との交流、村内行進、村及び「原燃」等との交渉や対話などと共に、祈りの時間を設け異なる宗教者の言葉に思いを共有した。

 石川県の長田浩昭氏(真宗大谷派)は「日本の原発は国策で動いている。誘致する側のお上意識が根強く、またそれを植え付け、国策・棄民政策を推進してきた責任が教団にある」と、国策を掲げる経緯や背景について自己とのかかわりから述べた。

 弘前市の千葉仁子氏(日本基督教団)は、「寺下訴訟」(国=「原燃」が寺下元六ヶ所村村長を侮辱した事への謝罪と名誉回復を求める訴訟)を通し、旧日本軍と変わらない国の体質を指摘。八戸市の岩田雅一氏(同)は、日本のプルトニウム政策の本質を述べ、「原子力共栄圏」の中枢に位置づけられた六ヶ所村やアジアの人々との連帯を訴えた。

 韓国の霊光(ヨングァン)原発現地から招いたパク・ジェワン神父は、「私だけで反核運動をやってきたのではない」と、六名の信者を伴って来日。「私の反核運動は知識ではなく、『聖霊』でやっている。宗教者はどこに立つか(民衆の側に立っているか)問わなければならない」と。

 二日日は広大な核燃サイクルの現場に立ち、各自が国策を肌身に捉えた。その後鎌田慧氏が「六ヶ所村の五十年」で講演。かつては満州に武装農民として入植(侵略への加担)、戦後は二度目の入植地を「開発」に追われた村民の歴史は、国策の本質を表す。国策に宗教者はどう対抗できるのか。鎌田氏は「個々が個人として立って責任を持っていくこと」と指摘した。

 三日日は村内行進デモと交渉。集会宣言文は、国策=核燃サイクルを犯罪行為と非難すると共に、「私たち宗教者は戦争時の加害者としての責任を深く問うことをせず、戦後はむしろ被害者としての意識や行動に甘んじてこなかったか」と自問。そして、核燃サイクルによって六ヶ所村がアジア諸国に対して加害者になることを強いられることを踏まえ、「加害者としての過ちを自覚して、アジア諸国に真摯に謝罪し、責任を取らなければならない」と誓った。


 反原発新聞 209号 95,8,20

   「国策=核燃料サイクル」を問う
       六ヶ所村で宗教者が全国集会

 「原子力行政を問い直す宗教者の会」全国集会が、敦賀、東京についで今年7月3日〜5日、青森県六ヶ所村で開催され、仏教・キリスト教・教派神道などの約100名が全国から参加した。「戦後50年」の年に「六ヶ所村」でこの会が開かれたことは、まさしく国の近代化政策と戦後の地方開発政策によって犠牲と化し、現在、膨大な核のゴミ投棄と世界に突出する再処理・高レベル廃棄物問題など、矛盾と危険の一大集積地化が進行する場での開催だけに、はかりしれなく大きい意義を持った。

 韓国の霊光(ヨングァン)核発電所の現地で身を挺して民衆的闘いをされている朴在完(パク・ジェワン)神父ら一行、巨大開発に六ヶ所村長として反対し83才の現在も反核燃闘争を担う“反骨の志”寺下力三郎さん、それに菊川慶子さんら新住民の面々が加わり、全国、近在から参加した宗教者と「反原発」で出会い、熱い思いを交流した。「国策=核燃サイクル」の本質に迫る論議、鎌田慧氏の講演、核燃料サイクル施設の敷地内視察、祈りの行動など、充実した三日間だった。

 集会宣言を採択し「『核燃料サイクル』は、責任を回避して、地元の人々を圧殺する、国家の犯罪行為である」と、「無策・無責任」ぶり、安全対策を無視して強行する国の姿勢に「欺瞞、傲慢」な行為を見、「国家犯罪」と断罪した。

 能登原発現地の長田浩昭僧侶(真宗大谷派)の発題によって、日本の原発が「節約、節制」「自然を大切に」ということでは決して止まらない/欧米のような経済論理の上に成り立っていない/原発を立地する側の意識が「国策」という「お上意識」に支えられているという点に視座を据え、意識を集中することができた。

 また「罪」を個人的な問題に矮小化せず、国策・国全体のあり方や方向性と、それを支える価値観や地域と人間を分断していく構造そのものを「宗教者の課題とする」方向を確認した。

 そのことと、宗教者の戦争責任と現在に続く「加害者」性の自覚に立って、今後、反原発でアジアの人々と連帯していくことを確認し合ったことが、今集会の成果だったと思う。

 集会後、六ヶ所村、日本原燃、科学技術庁の青森出先機関、青森県に集会宣言を手渡し、申し入れを行った。

第2回 「東京」全国集会(94,7,4)
 「東京」全国集会へのよびかけ

「原子力行政を問い直す宗教者の会」第2回集会
テーマ 今こそ自らを問い直す
      「都市住民」が「被曝」を強要し「アジア」を踏み付ける
 今ほど私たち自らが厳しく、深く、広く、問い直されているときはありません。

 ヒロシマ・ナガサキの被爆から49年。その間の被爆者たちの痛苦と悲願を、私たち はどれほど共有してきたでしょうか。「平和利用」と称して相次ぐ原発の建設や運 転、事故続発の陰で、差別と犠牲を強いられ、不安に脅かされている現地住民や被爆 労働者の叫びに、私たちはどれほど耳を傾けてきたでしょうか。今や原発輸出やプル トニウムの保有・利用へ踏み出そうとしている日本に対して、アジアの諸国民の中に まき起こっている厳しい世論を、私たちはどれほど認識しているでしょうか。

 原発の「必要神話」を受け入れて、「豊かさ」を謳歌する大消費者たる「都市住民」(「都市化」を急ぐ過疎地の住民を含む)が、「被曝」を強要し「アジア」を踏 み付ける構造を、わたしたち自身が取り組むべき課題として深く認識し問い直しつつ、訴えていかなければなりません。そこに、今回あえて原子力行政の中枢、東京に おいて集会を開催する意義を見いだすものであります。

 既に事実は先行しております。国の原子力行政は、原発現地住民や被曝労働者を打ち棄てるのみならず、アジア住民にも牙を向けはじめました。これは歴史への問い直しをも意味します。近代日本が「文明開化」をうたい「脱亞入欧」といってアジアを 侵略しつつ、「富国強兵」の軍国化の道を歩んだ結果が、ヒロシマ・ナガサキへの原 爆投下でした。戦後、平和憲法のもとでスタートしたはずの日本が、愚かにも今また 同じ轍を踏もうとしています。今日の軍事大国日本がPKO・プルトニウム政策を強行し、核武装というアジア近隣諸国の悪夢を現実化させつつあります。

 今この時、私たち宗教者は、それぞれの宗教的信念に基づいて、すべての「いのち」を大切にする思いで結ばれました。今日の危機の発生地東京で共に交わり、話し合い、祈って、歴史を問い自らも問い直して、熱い思いと行動を共有していきましょ う。

「原子力行政を問い直す宗教者の会」
集会代表
東海林 勤 (東京都・日本キリスト教団)
梅森 寛誠 (宮城県・日蓮宗)



結成全国集会までの歩み
 結成までの経緯