無核無兵をめざす宗教者のネットワーク
  Inter-faith Forum for Review of National Nuclear Policy
  原子力行政を問い直す宗教者の会

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Histry


設立までの経緯


結成全国集会(93,7,6)
▼よびかけ文
「原子力行政を問い直す宗教者の会」
結成全国集会ごあんない


 1993年。時は今“熟成”しつつある。フランスからの大量プルトニウムの東海港上陸に幕開けたこの年。4月には青森・六ヶ所村に核燃再処理工場の着工が強行され、この秋にはいよいよ若狭に高速増殖炉「もんじゅ」の運転がはじまる。

 その突出ぶりがあらわになった日本のプルトニウム政策に世界が懸念しはじめた。自らが「民主・自主・公開」の原則を踏みにじって突出する原子力行政。かつて軍国主義日本が侵略戦争を企て世界を敵にまわして破滅していった経過に酷似する。国民には「豊かさ」で荒廃させつつ原発増設の動きが急だ。老朽化し苛酷事故が増すであろう既設原発の中で、被曝労働者の労災認定がようやくなされた。時は新たな段階にはいっている。

 私たちはそれぞれに宗教・信仰をもっている。その意味を今鋭く問われはじめている。私たちは1992年10月、原発や電力行政一般を司る通産省、資源エネルギー庁と核燃やプルトニウム行政を所管する科学技術庁と「対話」を行い、国の原子力行政を根本的に問い直す歩みの、第一歩をようやく踏みしるした。原子力行政を問うことは自身の宗教的信念を問い直すことでもある。

 これらの経過を踏まえ、いよいよ「原子力行政を問い直す宗教者の会」の結成全国集会となった。課題は山積みしている。各地域に散在する宗教者をつなぎ、交流しながら行動したい。「いのち」や「子孫」の観点から行動したい。また現実の被曝、「差別」の実態を見つめながら行動したい。

 此度、記念すべき集会を高速増殖炉「もんじゅ」の地敦賀に於いて開催する。私たちの宗教的立場から「もんじゅ」運転と原発増設のストップを敦賀市長に申し入れ、「対話」を行う。更に実際に「もんじゅ」を見学し、今日の未曾有の危機を私たち一人一人が血肉化し共有したい。その上で、宗教・信仰によって結縁された私たちが、時代社会的存在として何を目指すのかを共々に模索したい。

 さあ、この夏敦賀で“あなたとともに”新たな歴史をつくろう。
1993年6月6日
敦賀全国結成集会代表 
掘部 知守(真宗大谷派)
▼集会宣言文
宣 言 文
原子力行政を問い直す宗教者の会
 全国各地で、それぞれ宗教・信仰をもって活動する私たち。今まさに各自の宗教・信仰が、その真価を発揮すべき時が来た。

 今私たちは、人が人であることを忘れ、また恥じなければならない苦悩の時を迎えようとしている。核の被害、その非人間的暴力性を最も早く知ったはずのこの国が、「平和利用」と称して 核・プルトニウムからの撤退著しい世界の潮流に逆行して 「牽引者」になろうとしている。経済力と技術力への過信と奢りに充ちたこの国の核武装を、世界各国が懸念し警戒しはじめた。

 国は「地獄の大王」・プルトニウムの集中する 高速増殖炉「もんじゅ」の若狭、核然サイクルの青森・六ヶ所に対して、いよいよ棄民政策の強行をはかっている。

 国は、地域文化の破壊と分断 欲望の扇動と構造的差別の増長を企てつつ原発立地建設をこれまで強行に進め、また進めようとしている。

 国は、過酷事故を軽視して現地住民の不安を一蹴し、被曝労働に目をつぶり、その救済態勢には全く手をつけない。

 国は、放射性廃棄物を青森・六ヶ所に集中させることによって、矛盾の矛先をかわし、そのツケを将来世代に一方的に押し付ける破廉恥な政策を強行している。

 その間 国民が一時的な「豊かさ」「快適さ」という物質偏重生活を扇動され、やがて精神の荒廃 宗教的良心の否定へと導かれエゴと欲望と無知の故に、結果として強者の加害者側に立たされてきた重い現実を私たちは痛みをもって認識しなければならない。

 ああ、宗教者・信仰者が国の原子力行政に対して諌言し警告を発しなければならない事の重大かつ深刻さよ。

 原子力の本質的にもつ、強者が弱者を権力とカネで支配する構造は、都市住民の過疎住民に対しての、「北」の「南」に対しての、人間の人間以外の「種」に対しての、現代世代の将来世代に対しての、それぞれの差別性・暴力性だ。

 原発現地住民の、被曝労働者の、地球上のあらゆる動植物の、そしてこれから来たるべき一切の子孫の生命の、怨嗟のうめき声が聞こえないか。

 そもそも、私たち宗教者・信仰者はこれまで何をしてきたか。崇高な教えで安心や救いを説くものの、それらが専ら自らの内面や死後の平安、狭い「ご利益信仰」のみに向けられつつ、現実逃避をしていなかったか。かっての侵略戦争を宗教者・信仰者が防ぎえなかったばかりか、教団によっては積極的に荷担してきた犯罪的背教的歴史を至心に懺悔するとともに、私たちは今まさに自他の一切のいのちが破滅の渕にあるこの現実を直視し、その根本的具体的解決のために祈り行動しよう。それこそが、現代に生きる私たちがそれぞれの宗教・信仰の存在価値を表明し、自らをも深め回復していく道だ。

 私たちは1992年10月、原発や電力行政一般を司る通産省;資源エネルギー庁と核燃やプルトニウム行政を所轄する科学技術庁と「対話」を行ない、国の原子力行政を根本的に問い直し、その過ちをただし改めさせる闘いの第一歩を、ようやく踏みしるした。私たちを日々苦悩させる原子力犯罪の総もとじめが「国の行政」であることに照準を定め、今後訴え続けていこう。

 ただ願うところは、今日のこの未曾有の危機が、私たちのたゆみない愛と慈悲の熱誠と実践によって克服され、互いに敬い礼拝し合う社会が到来することだ。私たちは、これまで 地域や教派宗派の垣根で分断されてきた。今これを乗り越え破り、同一の課題のために協力団結しつつ行動を起こそう。

 愛する者たちのために。子供・孫 これから来たる者たちのために。故郷を 地球の生きとし生けるものを「地獄」から救いたいが故に。踏みにじられつつあるいのちの尊厳と真理を守りたいが故に。

 私たちに 大いなる信と力と勇気を。
1993年7月6日

▼敦賀市長への申入書
申し入れ書
1993年7月7日
敦賀市長 高木 孝一殿
原子力行政を問い直す宗教者の会
 原発をめぐる危機的な現状を憂い、その根本的な転換を願って、昨日、この敦賀の地において、私たちは「原子力行政を問い直す宗教者の会」を結成いたしました。大いなるいのちのいとなみを尊び、重んじている、それぞれの宗教(信仰)の立場に照らしながら、私たちは自らの過去と現在をも問い直しております。

 世界一の原発密集地にあって、様々な問題や住民の不安に応える責任を負っておられる貴職に、特に以下の3点について忌憚なく話し合い、要望いたしたいと思います。

1.高速増殖炉「もんじゅ」について
 昨年9月、最高裁はその判決の中で、設置者(動燃事業団)が「技術能力を欠くとき」、また「安全性に関する各審査に過誤、欠落があった場合」「従業員やその周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがある」と指摘し、広範囲に居住する原告の適格を認めました。再三にわたる燃料製造のトラブルをはじめ、その「技術的能力」そのものに重大な疑義があるだけでなく、膨大な予算をつぎこんでの経済性も疑問視されています。そして何よりも、プルトニウムの危険性に加えて、その軍事的転用(わが国の核武装)に直結することを危惧する国内外の世論が高まっていることです。軍国主義・侵略戦争に協力した過去を深く懺悔して
いる私たち宗教者としては、最後の点が「もんじゅ」の最大の問題だと考えざるをえません。貴職が「もんじゅ」建設に同意された時期と現在とでは、高速増殖炉をめぐる状況は大きく変化しています。少なくともあらゆる情報を徹底的に公開させるとともに、「もんじゅ」の臨界・運転を認められないよう強く要望いたします。

2.敦賀原発3・4号機の増設について
 90%以上の福井県民が増設に反対していると度々報道されています。すでに15基も集中している“原発銀座”の住民として、あまりにも当然な反応だと言えましょう。しかも、そのほとんどの電力を消費しているのは大都市圏であります。被曝労働者や現地住民等を犠牲にしながら、「活発な経済活動」「豊かな生活」を維持・拡大するために原発を推進するという前提そのものを、私たち宗教者は問い直しております。地元自治体にとって原発は“金のなる木”であったことは事実かもしれませんが、大多数の敦賀市民や県民の声に耳を傾けていただき、また、これまで貴職自ら表明されてきた「つくって欲しくない」とのご意思通り、勇気をもって敦賀3・4号の増設を断わってください。

3.敦賀原発1号機の廃炉について
 最古の老朽原発である敦賀1号炉の廃炉を、地元自治体の主体性を発揮して貴職が提言されたことに、私たちも大きな感銘を受けています。元・原子炉設計技師の田中三彦氏は、「古い原発こそ問題である。整備された基準で過去の原発を見直さねば……」「実際、もし“いま”敦賀1号機をそっくりコピーした原発をつくろうとしても、国はそれを認めないにちがいない」(『世界』1988年5月号より)と警告されています。また若狭をはじめ国内の多くの原発の老朽化が進む中で、原子力安全委員会や通産省も“過酷事故”対策を講じなければならなくなりました。敦賀3・4号増設との「交換条件」ではなく、あくまで「提言」だと貴職は明言されています。どうかそのお言葉の通り、ご提言の具体化に尽力してください。

掲載新聞記事(福井新聞)


93,7,6

反原発に宗教者結束
全国の三百人
きょう敦賀で「会」結成

 反・脱原発を目指す全国の宗教関係者が六日、敦賀市に集まり「原子力行政を問い直す宗教者の会」を発足させる。高速増殖炉「もんじゅ」の初臨界を前に、核武装につながりかねない現在のプルトニウム政策に対して反対行動を強めていくという。

 世話人の一人で小浜市門前、明通寺住職、中嶌哲演さん(51)=原発反対県民会議常任幹事=によると、全国各地の宗教関係者約三百人が宗派を越えて賛同している。このうち八十人は昨年十月、通産省などに国のプルトニウム政策をただす行動を行っている。新しい会の発足は「第二次大戦な
ど日本が犯した過去の過ちの際、あまり声を上げてこなかった宗教者自身に対する問い掛けでもあるという。

 六日午後二時から、敦賀市の敦賀労働福祉会館で結成大会を開く。中嶌さんらが基調報告を行った後、各地で展開されている反原発の取り組みについて報告を受ける。二十七都道府県から約九十人の参加を見込んでいる。

 七日は同市白木のもんじゅを見学し、職員との質疑を行う。もんじゅの運転阻止に向け、同市に対して申し入れを行う。

 中嶌さんは「平和に敏感な宗教者としては、国が進めるプルトニウム政策に大きな危機意識を感じている。子孫の命を守るため宗派、信条を超えて一致できた。会は緩やかなネットワークとして各地での独自の取り組みを重視していきたい」と話している。


93,7,7

敦賀
宗派超え“反・脱原発を”
「問い直す会」が発足

 宗派を超えて反・脱原発を目指す宗教関係者の全国組織「原子力行政を問い直す宗教者の会」の結成総会が六日、敦賀市の敦賀労働福祉会館で開かれた。二十七都道府県から約百人が参加、原発をめぐる問題についての基調報告などが行われた。

 全国に散在していた反・脱原発の立場を取る宗教者が連帯して原発問題に取り組んでいこうと、昨年から組織化が進められてきた。約三百人が宗派を超えて賛同。昨年十月には通産省、科技庁に対し原発政策をただす行動も行っている。

 総会には北海道から九州まで全国各地の仏教、キリスト教各派や神道関係者らが集まった。大会代表の堀部知守さん(富山県・林照寺住職)があいさつした後、出席者全員が原爆や原発事故の犠牲者などに対する追悼の祈り、黙とうをした。

 続いて、世話人の一人で原発反対県民会議常任幹事の中嶌哲演さん(小浜市・明通寺住職)ら三人が基調報告した。中嶌さんは原子力行政の実態や問題点を述べ、原発の安全神話は崩壊し、“必要神話”が押し付けられていると指摘。また宗教者として内面を深く追求し、現実の原発問題に取り組む必要性を説いた。

 立花正寛さん(敦賀市・明光寺住職)は原発の危険性を訴え、宗教者は自らの宗門を超え、人間の命だけでなくすべての生命の問題にかかわっていくことが重要と強調。元原発労働者の斉藤征二さん(敦賀市)は自らの経験を基に、原発労働の問題点などを話した。

 この後は石川県珠洲市の原発計画に対する取り組みなどが報告され、宗派を超えて団結行動することを宣言した。同会では七日、高速増殖炉「もんじゅ」の見学や敦賀市に対し敦賀原発3、4号機増設反対などの申し入れを行う。


93,7,8

「原発増設認めるな」
宗教者の会
敦賀市に申し入れ
 全国の宗教関係者でつくる「原子力行政を問い直す宗教者の会」は七日、敦賀市に高速増殖炉「もんじゅ」の運転反対、日本原電の敦賀3、4号機増設反対などを申し入れた。

 世話人の中島哲演さん(小浜市明通寺住職)ら約五十人が市役所を訪れ、高木市長に申し入れた。

 内容は
▽軍事的に転用される危険のあるプルトニウム燃料を使うもんじゅの運転を認めない
▽県民や市民の声に耳を傾け、敦賀3、4号機増設を認めない
▽敦賀1号機の廃炉提言を具体化する―の三項目。

 これに対して高木市長は「もんじゅは国家プロジェクトであり、運転中止は難しい。増設については、つくってほしくないが、現在のエネルギー事情を考えてほしい。私は日本の原発は安全だという信念を持っている」と答えた。

掲載新聞記事(仏教タイムス)

93,7,15

「原発」問う宗教者の会発足
宗派超えて敦賀で開催
“いのち”から提起
敦賀市長へ申し入れ行う
 全国各地の原子力発電所立地地域を中心に反原発・脱原発をめざして個別に行動してきた仏教はじめキリスト教、新宗教などの宗教者が、それぞれの宗派を越えて「原子力行政を問い直す宗教者の会」を結成。さる6日、原発銀座といわれる福井県敦賀市に約百名が参加して結成集会を開催した。集会などでは各地の活動などを報告、宗教者としての取組みを宣言した。また、集会参加者は翌七日には高速増殖炉「もんじゅ」を見学し、高木孝一・敦賀市長に原発増設中止など三項目の申し入れを行った。
 結成集会(代表=堀部知守・富山県真宗大谷派林照寺住職)は六日午後二時から、高速増殖炉「もんじゅ」の立地する敦賀市で開催。会場となった敦賀労働福祉会館には、北は北海道小樽市から南は九州・宮崎県まで全国二十七都道府県から仏教・キリスト教・教派神道など十四宗派の宗教者百名以上が参集した。

 集会では開会宣言に続き、参加者全員がチェルノブイリを始めとする原子力発電事故や核兵器の犠牲者に対しそれぞれの宗教のスタイルで一分間の祈りを捧げた。引き続いて仙台市の梅森寛誠氏(日蓮宗)が、各地の原発立地地域で個別に活動を続けてきた宗教者が横のネットワークを作るまでの経過を報告。昨年十月に行った東京での通産省、科学技術庁の担当者との話し合いやその後の原発下請け労働者の実態調査、珠洲市市長選に対する五千名の署名活動などについて報告した。

 基調講演では、小浜市の中嶌哲演氏(真言宗御室派)が十五基(うち十四基が稼働寄)の原発が建つ“原発銀座”若狭からの報告を行い、「原発は必要」という神話を打破するために、「都市住民のライフスタイルを支える価値観の転換」「原発に依存しない地域開発」「フリーエネルギーの開発」の必要性を訴えた。

 また、敦賀市の立花正寛氏(浄土真宗本願寺派)は、住民の九〇%がこれ以上の原発増設に反対しているにもかかわらず推進される現状を報告するとともに、ガンで亡くなる人がなぜ多いのか、という市民病院の医師や看護婦の声を紹介。最近では、二十三才の女性が白血病で亡くなっていることをあげ、“原発で人は死なない”という推進派の主張を否定した。そして、「宗教者はありとあらゆるいのちの問題に関わってこそ、宗教者と言えるのではないか」と宗教者の責任も提起した。

 1964年(昭和39)から美浜原発で配管工として働き解雇をきっかけに組合を結成した斉藤征二氏は、一般に知られていない原発下請け労働の過酷な実態を詳細に報告。組合結成後だけで五十名以上の労働者が亡くなっている事実、原発が「労働者は使い捨て」の上に成立っていることなどを語り、「トップから下まで作業内容が伝わっていない中では人為的ミスは当たり前。その体質は今でも変わっていない」を指摘した。

 原発立地地域からの報告では、八戸市の岩田雅一氏(日本キリスト教団)が青森県六ヶ所村の核廃棄物再処理工場反対運動とのかかわりを、石川県珠洲市の塚本真如氏(真宗大谷派)が二基の原発誘致で揺れる市長選について。そして、神奈川県横須賀市の木村武志氏(日本キリスト教団)が自治体に実態が知らされていないという核燃料輸送の問題点について報告した。

 集会はこの後、会の方針や運営方法について検討、執行部に一元化せず全国二十名の世話人を通じ連絡を取り合うことなどを確認。宣言文を採択した。

 宣言文では、核・プルトニウムからの撤退著しい世界の潮流に逆行して牽引車となろうとしているわが国の原子力行政が、地域文化を破壊し住民の不安を一蹴、被曝労働を黙認するなどして、その矛盾のツケを将来世代に押しつけているとして、国の原子力行政を根本的に問い直し、その過ちをただし改めせていくことを謳うとともに、宗教者がこれまで崇高な教えで安心や救いを説きながら、それが専ら自らの内面や死後の平安、狭い「ご利益信仰」のみに向けられ、現実逃避をしていなかったか、と宗教者の責任も問うている。

 集会参加者は翌七日午前には、同市白木地区に建設された高速増殖炉「もんじゅ」を見学したが、大人数を理由に建物内部への見学を断られ写真撮影も制限される中での“見学”に、あらためて自主・民主・公開の原則とは程遠い原発の実情に直面した。

 また昼すぎには高木孝一・敦賀市長に面会、
@高速増殖炉「もんじゅ」の臨界・運転を認めないように 
A敦賀原発3・4号の増設を認めないように 
B老朽化している敦賀原発1号炉の廃炉についての市長提言の実施を―
の三点について申し入れを行った。

 今回の集会について世話人の一人、立花正寛氏は「あらゆる宗派から集まって真剣な討議ができたことを評価したい。従来の組織のようではなく、問題に応じて人が集まり検討していくというのは“談義”のようで宗教者にふさわしいやり方」と、語った。また、同じく地元の中嶌哲演氏は、「今回の集会がきっかけとなり、地元の宗教者とのつながりができたことは収穫のひとつ」という。(次号詳報)


93,7,30

宗教者と“原発”
レポート 「原子力行政を問い直す宗教者の会」
原発の差別と暴力性に
現実直視し行動を提起

 原子力発電への依存度を高める国の原子力行政を批判し、反・脱原発運動を進める宗教者がさる6日、福井県敦賀市で「原子力行政を問い直す宗教者の会」の結成集会を開いた。集会と翌日の「もんじゅ」見学の様子を報告する。

 結成集会に参加した宗教者は、宗教も地域も様々だ。宗教者自身の問題意識から宗派を超えた自発的な集まりができることはまれである。自教団については知っていても、他宗の動向や社会問題に関心を持たないという宗教者が多いからだ。「キリスト教と仏教は違うものと思っていたが基本は同じということがわかった」と、栃木県のプロテスタントの参加者は語る。共通するのは、宗教者として「いのち」を真剣に考えること。そして、その「いのち」を疎外するものへの怒りである。

 沈黙破り告発
 敦賀市の立花正寛氏(浄土真宗本願寺派)は、「原発とつきあって23年」。小学校5年の時、敦賀に原発ができると聞かされて以来だ。その間、行政と電力会社が描くバラ色の未来は実現したのだろうか。確かに道路はよくなり、公共施設も整ってきた。

 だが、立花氏の寺の門徒総代は原発で働いていた息子さんを癌で亡くし、沈黙を破り地元の新聞に原発の危険性を訴えた。ほかにも白血病や癌で亡くなる人を多く見てきた立花氏は「これまで若狭湾に放出された放射能は天文学的な数字ではないか」と憂慮する。「あらゆるいのちの問題に関わってこそ宗教者。命がけで運動を広めてほしい。さもないとどんどん犠牲者がふえる」と、訴えた。

 能登半島の先端、珠洲市は原発誘致に熱心だ。ここも過疎は深刻。塚本真如氏(真宗大谷派)は、この春行われた市長選挙で現市長を推す原発推進派から「反対派の家族構成などすべてを把握していやがらせを受けた」こあとを報告した。

 投票用紙を印刷しているのが市長の身内、市役所の職員は縁故採用がほとんどという地縁・血縁の利害がからみあう土地柄で反対を表明することは容易ではない。それでも「運動の先頭に立っているのは宗教者」という。

 翌7日、参加者は高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の見学と高木孝一・敦賀市長への申し入れを行った。まず動力炉・核燃料開発事業団敦賀事務所で動燃側の用意したバスに乗り「もんじゅ」に向かう。

 敦賀半島を横断し若狭湾にでると、91年2月に日本の原発史上最悪の事故といわれる蒸気発生器伝熱管(細管)破断事故(ギロチン破断)を起こした関西電力美浜原発が現れた。事故の原因は完全に究明されていない。前日、若狭の中嶌哲演氏が紹介した事故を語る子供たちの悲痛な作文が頭をよぎる。

 美浜原発を横目にトンネルを抜けると「もんじゅ」が立地する白木地区だ。“原発銀座”を実感する。トンネルは、“陸の孤島”だった白木地区の住民が原発と引き替えに手に入れたもの。「それは本来、行政の問題ではないか」と参加者の一人がつぶやく。

 見学は“人数の関係から”外観のみ、写真も制限された。厳しい規制に白け気味の参加者たち。28万キロワットのこの原型炉はまだ試運転段階だ。燃料のプルトニウムペレット製造工場の故障の原因が解明できないため、10月に予定されていた臨界が大幅に延期されそうな状況なのだ。

 皮肉なことに、動燃のパンフレットには高速増殖炉「もんじゅ」と新型転換炉「ふげん」は文殊菩薩と普賢菩薩に由来し、獅子と象に乗る姿は「強大な力をもつ巨獣を智慧と慈悲で完全にコントロールしている姿」で「原子力の巨大なエネルギーもこのようにコントロールし、科学と教学の調和の上に立つのでなければ人類の幸福は望めません」とある。人間の智慧は「半減期が二万四千年、耳掻き一杯で数万人を殺せる」プルトニウムという巨獣を制御できるのだろうか。技術的な問題は専門家も指摘、海外からは軍事利用への懸念も高まっているのだが…。

 “国策”の壁が

 動燃との質疑では、予想通り紋切り型の答えが続いた。地元への協力金の支払額を問う質問に「常識的なおつきあい。相手のあることで金額は差し控えたい」などの答えに「答えになっていない」の声も飛ぶ。市長への申し入れでも、「電力需要が増大する以上原発しかない。日本の原発は世界一安全」との答えが返ってくる。だが、情報公開を求めても「国の政策」を盾に拒む市長も「地方経済の独立を成り立たせなくしてきたのは国策ではないか」との指摘に返答に窮する場面も。国―県―市の縦割り行政が、「原発など来てほしくない」という本音をふさぐ構図がかいま見えた。

 敦賀の夜は闇が深い。原発銀座で作られる電力は敦賀のためのものではない。関西方面に送られ、不夜城を作る。都市の欲望を満たすため、過疎に苦しむ地方の住民の健康を蝕み、人間関係を破壊、巨額の協力金という麻薬で“活性化”を図るという地方経済の疲弊が加速される。

 「原子力が本質的に持つ、強者が弱者を権力と金で支配する機構」が、都市住民の過疎住民への、北の南に対する、人間の人間以外に対する、現代世代の将来世代に対するそれぞれの「差別性・暴力性」であると、宣言文は指摘し、「一切のいのちが破滅の渕にあるこの現実を直視し、根本的具体的解決のため祈り行動」することを表明した。それは、どのような文明を選択するのかという宗教者個々への問いかけでもあろう。(つづく)


93,8,15

宗教者と“原発”
レポート 「原子力行政を問い直す宗教者の会

“使い捨て”の労働者
経済至上主義転換を

 七月六、七日に福井県敦賀市で開かれた「原子力行政を問い直す宗教者の会」結成集会のレボ一ト最終回は、原発労働者の実態を中心に報告する。

 原子力発電所で事故が起こると、「環境に重大な影響を与えるレベルではなかった」という担当者のコメントが出され、マスメディアでも地元以外ではいわゆるベタ記事扱いが普通。そして、原発立地地域の住民以外はそんな事故があったことすら翌日には忘れてしまう。都会に住む人間にとって自分の家にくる電気が原子力で作られようが水力・火力発電によるものだろうが、あまり関孫のないこと。“人口の少ない”過疎地のことや、ましてや「その現場で働いている人間がいるということに思いをめぐらす人がはたして何人いるだろう。

 5万人が従事
「皆さんは原発の中はさぞ明るいところだと思っているかも知れませんが、実際の原発の作業現場はとても暗い所です」。七月六日、福井県敦賀市で開かれた「原子力行政を問い直す宗教者の会」の結成集会に招かれた斉藤征二氏はこう語り、「使い捨て」にされる労働者の実態を報告した。斉藤氏は、1964年(昭和39)から15年間、関西電力美浜原発で下請けの配管工として働いてきた。解雇をきっかけとして組合を結成、原発労働者支援の活動を続けている。

 原発の広報用パンフレットには、明るい管理された部屋でコンピユーターの画面を見つめる技術者の写真などが掲載されている。ところが、そうした管理的な部署で働く技術者以外にも原発は「人海戦術」といってもよいほど多くの労働者を必要とする施設であることはあまり知られていない。除せん、応急処置、養成などの作業。その仕事に従事するのはほとんどが一次下請け業者からさらに六、七段階の下請けを通して集められた労働者である。その数は、年間5万人以上という。

 犠牲の上に…
 すべてがコンピューターで制御され安全な原発、というイメージとは程遠い実態について斉藤氏は報告した。頭からすっぽりマスクを被り、放射線防護服を着込んで危険な現場で人力でなければできない細かい作業に従事するのだが、狭い場所で、しかも全身を覆われているため動きにくく暑さも堪えがたいものだという。「暑いからマスクをとってしまったり」、トイレに行きたくても「現場から遠いためこっそり現場の暗がりで用を足すこともザラ」という。もちろん、高レベルの放射線を被曝することになるのだが…。

 防護服を着用していても一日の労働時間が最短で二分間ということもあるという。それだけ高い放射能にさらされる現場なのだ。こうした作業が健康被害をもたらさないわけはない。肝臓癌、胃癌、白血病などが多発する。物理的にも「一人の労働者が一つの仕事を完了させることは不可能」なこともわかる。電力会社の職員が立ち合わないため、作業内容がトップから末端まで正確に伝わらない。「人為的ミスは起こって当たり前」と、大事故につながりかねない危険性も指摘した。

 斉藤氏の言葉は、集会に参加した宗教者たちに重い衝撃となって伝わった。「被曝を前提とした労働とは、他人の犠牲の上に築かれる繁栄とはなにか、ということをあらためて考えさせられた」「原発は差別の上になりたっているということを再確認した」という参加者の声も聞かれた。

 今月十九日付の読売新聞には「原発で環境と成長の両立を」との社説が掲載されていた。現政権の中で社会党だけが原発増設に慎重なことへの批判が主旨のようだが、そこには原発で働く労働者の問題も立地地域の住民の不安も事故のリスクへの言及もなかった。これらに目をつぶり、経済成長を至上とする価値観が続くかぎり、あらたな被曝者は増え続けるだろう。宗教者としてこの価値観を転換させる道が求められている。(おわり)

結成全国集会までの歩み
▼結成までの経緯

結成全国集会までの歩み
     〜これまでの経過〜


1、前史時代

 「10月行動」の実現に向けて (〜92.10.1)
 これまで宗教者で反原発脱原発の立場で発言し行動している人は、全国に散在はしていた。そして国の原子力行政が世界の潮流に逆行して突出していく姿が明らかになるにつけ、その“すその”は次第に広がりを見せていた。しかしその宗教者たちが教派宗派を超えて全国規模で一つの目的のために行動するということは、希求されてはいたが現実的には、なかった。これら各地で原発問題に取り組む宗教者をつなぐ役割、すなわち本会結成の嚆矢の働きを、日本山妙法寺の釘宮海証さんが担った。彼は全国を行脚しながら「宗教者として国へ意志表示をしよう」と呼び掛け、92年4月6日〜8日 京都に於て第一回目の集会が開かれた。

 第一回目の集会では、少人数で意志の交換をやりとり共通理念を固めながら、国がプルトニウム社会に突入する象徴的な意味をもつ、高速増殖炉「もんじゅ」の臨界の時期に(当初92年10月といわれていた)宗教者として行動をしよう、との合意をもってその後の動きのスタートをきった。その10月行動に向けて、7月に綾部で、8月に東京でそれぞれ小集会をもち、行動の日程や方法、賛同人募集やよびかけについて、また「申し入れ書」や「よびかけ文」など、内容面を具体的に検討した。かくして92年10月1日、通産省;資源エネルギー庁および科学技術庁と不充分ながらも「対話」の実現に至った。

 (1)行動方針としては
 国の推進理念である「必要性」と「安全性」を宗教者の立場で、特に「必要神話」を打破していこう。宗教者自らを見つめながらも、共通する信念を掲げて国の姿勢を問いただそう。このような方針を確認した。

 (2)会の名称は
 「’92原発現地の宗教者の集い」としてスタートしたが、「原発現地」定義の問題から「現地」が削除されて「’92原子力行政を問い直す宗教者の会」となり、「’92」もはずされて今日に至っている。ただ、会の名称についてはその後各方面から何度も様々な意見が出されている。

 (3)行動方法は
 当初、省庁へ出向いて申し入れを行う方法も検討したが、人数や時間の制約の問題を考慮して、役人を呼んで「対話」を行なう方法をとった。

 (4)組織・運営については
 代表は置かず(置くべしとの意見もある)、事務手数や経費の問題から、事務局の一元化もしない。それぞれが賛同人募集をし、よびかけ・発送作業を行う。また「組織」の詳細は「10月行動」以降ということにはなったが、この件に関しては多少の問題や反省点を残すこととなった。


2、「10月行動」(92.10.1/10.2)

 (1)「10月行動」の経過
 参議院議員会館に於て、通産省;資源エネルギー庁と科学技術庁とそれぞれ「対話」を行なった。これは、予め提出した質問事項に各担当役人が答える、という形式でそれに対する質疑と話し合い(実際は「抗議」となったが)が展開された。≪この時の内容については「10月行動報告集」に要旨が掲載、以下若干参照した≫

 質問書は、通産省に関しては、原発の「必要性」を電力の需給関係(長期休暇の提案)とエネルギー需要の価値観を問い、「安全性」を苛酷事故対策や関連して電源三法交付金の意味合いを問うものであった。科学技術庁に関しては「もんじゅ」や六ヶ所村再処理工場、その他のプルトニウムに関する諸問題についての質問であった。役人の答弁は官僚的で人間不在の「公式見解」を出るものではなく、それ故こちらからの質疑や抗議が噴出した。結果として、問題をしぼりきれないまま「時間切れ」となってしまった。

 当日の晩は、築地本願寺に移動して、その日の反省を含めた「交流会」を行い、翌日は今後の活動や方向性を模索するための「協議会」を開いて、参加者一同熱心に話し合った。

 尚、特に通産省;資源エネルギー庁との「対話」の中で新たに発生した質疑
  1.下請け労働者の被曝状況の調査
  2.原発立地をめぐる諸問題についての調査
  3.原発をベースにすることの根拠
を後日「再質問書」として提出、回答を求めた。

 (2)「10月行動」の反省
 此度の「10月行動」は、1.全国の超宗派の宗教者が反原発脱原発のもとに初めて一同に集まったこと、しかも2.予想を上回る70名近くの参加者と、300名を超える賛同者を数えたこと、そしてとにかくも、3.国との「対話」が成立して国の原子力行政に関する見解を聞き出せたこと等が、多少ひいき目に見て評価し得ることであろう。スタートの段階故に可能性も大であるが、問題点や反省点もまた限りなくある。

 両日間で出た意見としては、1.参加者に対しての集会の趣旨の不徹底(「抗議」なのか「対話」なのか) 2.問題点を明確に引き出してしぼりきれなかったこと。 3.内容面についての作戦を立てて追及するまでの準備不足 4.「宗教者」が他とどこが違うのかがはっきりしなかったこと 5.組織としての「責任」の所在が不明確だったこと等であった。(これらの意見は必ずしも全会一致をみたものではない)

 (3)「10月行動」後の展望は
 しかし、そもそも此度は「10月行動」にしぼって計画実行したものであり、会のその後の展望までは考えてはおらず、話し合いに委ねられることになった。特に組織面での事務局のあり方や「宗教」のとらえ方が課題となってくる。ともかくも組織的には「10月行動」で一旦ケジメをつけて、改めてその後の宗教者のネットワーキングや活動を目指していくことになった。そして、差し当たりその「準備会」を「10月行動」呼び掛け人+有志の人々の責任で設定することになった。


3、会結成に向けて (92.10.2〜)

 (1)「10月行動」から派生したこと
 正式の会結成前に、「10月行動」のしめくくりとして残されていた、通産省;資源エネルギー庁からの「再質問書」回答が93年1月27日に口頭でなされた。少人数で役人と「再対話」となったわけだが、国の「理解いただく」という強引さと「法的に問題はない」という驕慢さが一層鮮明になった。今後さらに追及していくべきだろう。また、この日前回の「対話」を踏まえた上で総括した「警告文」を両省庁それぞれに文書で提出した。“やりっぱなし”ではなく、その都度はっきりした意志表示をすることは必要だ。

 実際の動きとしては、このように「10月行動」から派生したことや、この間の交流を通じてむしろ活発化している。4月に能登の珠洲市に対して、当地に計画されている原発立地の白紙撤回を求める緊急署名を、「脱原発全国宗教者の会」の名で全国に呼びかけ提出したことなどは、その典型である。

 (2)会結成のための「準備会」 (93.1.14/1.15 於 京都)
 92年の「10月行動」から、新たな会結成に向けて「準備会」が開催された。全国から30名近くの有志の人々が集まり協議した。そこで、全国の宗教者の会(名称は協議の上、当初の「原子力行政を問い直す宗教者の会」に落ち着いた)を7月初め頃までに結成すること、そのために全国から世話人を選出(21名)し、世話人会を開いて発会に向けての準備に当たること、「宣言文」を作成すること、等が決められた。

 その間の論議では、組織形態について、また行動内容について、多くの意見が出されたが、一致をみるところまでは至らなかった。ただ前者では、一元集中的な組織ではなく、地域の世話人ごとの地域分散型の運営で、会計面では各ネットごとの独立採算制(会費制をとらない)で行っていく方向が示された。後者では、年一回行動、労働者被曝の追及、原発現地・市民グループとの関わり、意見広告、ネットワーク作り、地元の問題、宗教会・宗門中枢へのはたらきかけ、「宗教」へのこだわり、「祈り」行動……まだまだたくさんの意見が交わされたが、それは課題の山積みぶりを表わすものであった。

 (3)会結成のための「世話人会」 (93.5.6〜5.8 於 京都)
 新たに加わった世話人を含めた12名が集まり「世話人会」を行なった。「原子力行政を問い直す宗教者の会」結成全国集会の具体的内容を討議した。当日の日程および役割分担、特に「もんじゅ」見学と敦賀市長への申し入れの件、「宣言文」や「よびかけ文」のこと、発送作業等について話し合われた。会の代表という形はとらず、その分各地の世話人が運営を担うことになる。